私の信仰
「一 歩踏み出す」
『あなたがたは、ヨルダンの水ぎわへ行くと、 すぐ、ヨルダンの中に立ちとどまらなければならない』 (ヨシュア記3:8)
私が初めて礼拝で御言のご用をさせていただいたのは30年程前のことになります。今思えば、信仰に入って5,6年で聖書理解も深くはなかっ
た者の成長を願い、大倉先生はこの重要な役割をお任せ下さったと理解できます。初めて語らせていただいたメッセージの後には、兄姉は「良かっ
た」「恵まれた」との言葉で随分と励まして下さったことを覚えています。その後も大倉先生が教会を留守にされた時には御言のご用を任されるこ
とがありましたが、その際には決まって礼拝に来て下さる方もおられたりして、振り返ればいろいろな形で主が支えて下さっていたことがわかりま す。
また、私は一昨年の5月末に約30年間勤めた会社を早期退職しましたが、退職することは、その何年も前に決めていたことでしたので、退職後
に教会で現在のような働きをする自分の姿は全く想像もしていませんでした。
もしも、今まで御言のご用を任されることがなく、あるいは今も会社勤めを続けていたとしたら、現在の働きは私には荷が重すぎて、とても負うこ
とができなかったことでしょう。まさに主のご計画があり、備えがあったと言うほかありません。
ヨシュアが率いるイスラエルの民は約束の地に入るためにヨルダン川を渡る必要がありましたが、冒頭の御言の通り、主は彼らに船や橋を用いて 川を渡るのではなく、足を踏み入れるようにと命じられました。
2020年の新しい年を迎えて今年の目標を掲げられる方も多いと思いますが、大阪城東福音教会も新たな一歩を踏み出す年となることを願って
います。牧師不在の中で外部の先生方のお力を借りながら教会の活動を維持している現状ですが、一人一人が成長するならば、教会も維持から成長
へと歩を進めることができると信じます。主はあなたを更に用いたいと願っておられます。御言に照らして自分のなすべきことが示されたならば、
信じて一歩踏み出しましょう。そうすれば、そこに主の偉大なご計画と御業を見ることができるのですから。
『祭司たちの足が水ぎわにひたると同時に、上 から流れくだる水はとどまって、(略)全くせきとめられたので、(略)民はエリコに向って渡った』(ヨシュア記 3:15,16)