大阪城東福音教会

私の信仰

「牧師が心の病に なるなんて」


 「聖書の学びの時を設けてほしい」との要望を受けて、4月21日(日)の午後に第一回目の学びが開催されました。様々なツール(異なる訳の 聖書、注解書、地図、等)を用い、また参加者がそれぞれ教えられた恵みを共有するなどして、聖書をより深く学ぶことを目的としました。
今回の聖書箇所は、午前のイースター特別礼拝で語られた御言に基づきコリント人への第一の手紙15章35~58節でした。パウロによって奥義 が語られた難解な箇所でもありますが、「難しい」との感想から「ブラックホール」に関する質問が出るなど、自由闊達な学びの場となりました。

 参加者の皆様からは次のような感想をいただきました。

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イエス様はあらゆる病 気、あらゆるわずらいを癒された。(マタイ4:23)
 なのに、どうして牧師が心の病になるのか・・・
 つい最近まで、そんな風に思っていた。
 でも、ここ数ヶ月、牧師の真似事のような事をさせていただいて、
 その理由がわかったように思う。
 牧師の務めは激務なんだ。それも心の激務・・・

 聖書の中に「これは、ひどい言葉だ。
 だれがそんなことを聞いておられようか」(ヨハネ6:60)と言って、
 多くの弟子たち がイエス様のもと を離れていった箇所がある。

 「あなたがたも去ろうとするのか」
 イエス様は、どのようなお気持ちで十二弟子に訊ねられたのだろうかと考えてみる。

 「主よ、わたしたちは、だれのところに行きましょう。
 永遠の命の言をもっているのはあなたです」(ヨハネ6:68)
 とのペ テロの返答に、主 はきっと感動されたのではないかと思う。

 牧師は一匹の羊を大切に育てる。
 なのに時として、その羊から大きな傷を受けることもある。
 しかし、主の御名はほむべきかな。
 主は、別の羊を通して慰めを与えて下さるお方であるから。
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