私の信仰
「もし愛がなければ…」
介護施設で働く中で教えられた事
ハレルヤ! 介護の仕事に就いて早10ヶ月になりま した。この間に大倉先生との地上でのお別れがありました。大倉先生にお会いしたく
入院先の病院にお伺いしたときのことを思い出します。突然お伺いしたにもかかわら ず歓迎してくださり、ご自分の部屋から隣の眺めの良い部屋に移ってくださり、お茶
をいただきながら話をしてくださいました。難しい話でなく、窓から見える景色の 話、看護実習生の話など何げないお話ができました。先生の体調が気になりながらも
介護の仕事を始めたばかりの私は、先生が職員の皆さんにちゃんと親切にされている だろうかと、そんな事が気になっていました。
私が働くのは「特別養護老人ホームユニット型」という施設で10名の方々が共同 生活を送っておられます。なので、私はこの方々のお住まいで働いているということ
になります。共同生活ゆえにトラブルも多々ありますが、共にいるからこその何げな いおしゃべり、笑顔、時には大笑い!なんていうときもあります。一見穏やかな日常
の中、出来ないことが少しずつ増えていく不安と戦っておられる方、介護されるとい うすべてをさらけ出さなくてはいけないことへの抵抗、「死んだ方がまし」とおっ
しゃる方など、お一人お一人が背負われている重荷の重さははかり知ることはできま せんが(主は知ってくださっている)、日々なんとか寄り添いたいと願っています。
職場の玄関にはイエス様が弟子の足を洗われている場面(ヨハネ13:1~30) のステンドグラスが私を迎えてくれています。朝、「今日もお一人お一人にお仕えす
ることができますように」と祈りつつ仕事につきます。実際、入浴介助で足を洗わせ ていただく時、本当に謙虚な気持ちにさせられます。
職員一同、お一人お一人の明日、1ヶ月先、1年先、10年先のことを思い、今な にが一番の支援になるかを日々悩み話し合っています。時には手助けしてしまうので
はなく見守るだけの時もあり、ご本人は「見離された」と誤解され涙されるときもあ ります。上手くこちらの思いが伝わらないときです。
コリント第一13:1~7「…もし愛がなければ…」のみことばが胸に迫ります。 慌ただしい中でつい、愛のない口先だけの言葉をかけてしまうこともあります。認知
症を患っておられる方、コミュニケーションが取りにくい方には小手先の知識技術で は通用しません。こちらの思いが見透かされているようで、拒否されます。本当に愛
がなければ受け入れてもらえません。そういった中ひとりのご婦人が、出勤すると 「おねえちゃんがきてくれたん、うれしかぁー」と迎えてくださるようになったこと
は、私の自信となりました。(他の職員にも同じことを言っておられますが…)
まだまだ足らないところだらけの私ですが、安心して任せていただけるように技術 面、知識面でより向上できるように、そして何よりイエス様が私に示された大きな愛
を忘れることなく絶えず追い求めて、自分の勤めを全うしたいと願っています。