大阪城東福音教会

私の信仰

心病む人と聖書カウンセリング


 「いやしのわざとしての聖書カウンセリング」と題する講義が10月5・6日と開かれました。講師は精神科 医の大澤憲一氏で、実際に沖縄にあるオリブ山病院の外来で聖書カウンセリングを行っています。福音 的アプローチの実際を通して、問題の現われに対する認識や心を病む人とのかかわり方、さらに私たち 自身にも問われる信仰の在り方について多くのことを教えられました。

 アルコールや薬物依存症は、果たして病気なのか?否、それは自己選択の結果であるといいます。彼 らは自分の非を認めようとはせず、酒を飲むのは世の中が面白くないからだなどと言います。しかしアル コール依存は明らかに罪であり、その本質は偶像礼拝であると断言します。偶像に頼る者は、結局偶像 に支配されてしまいます。酒がないと生きていけない、薬がないと動けない奴隷の状態に陥ってしまうの です。偶像そのものには何の力もありませんが、背後に霊的な力が働いているといいます。サタンは暗 闇に引きずり込み、偽りを語ります。現状を明るみに出し、愛を持って真理を語ってくれる隣人が彼らに は必要なのです。しかし隣人の口で語る言葉と行いに隔たりがあるならば、相手は心を開いてくれませ ん。聖書の言葉と実生活に乖離があってはならないと繰り返し強調します。愛は目に見える形で表わす ことができます。何も語らなくてもキリストの愛は伝わります。聖書カウンセリングの実際では、まず相手 を受容します。ありのままを受け入れることは、相手が変化してキリストとの関係を持つ土台となります。 しかし現状を承認するのではなく、「大変だったね。辛かったでしょう。」と受け入れ、「でも今のままのあ なたではいけない。一緒に変わっていきましょう。」と働きかけます。ここで陥りやすい過ちは、相手との 信頼関係ができていないのに語ることばかりに力を注いでしまうことです。キリストの愛を体現することに 難しさはありますが、心病む人を援助しながら自身も変えられる恵みにあずかります。

 境界性パーソナリティ障害は、感情の抑制ができない、愛情飢餓感が強いなどの症候があり、彼らと 安定した関係を維持することは難しいといわれます。時としてこちらの忍耐を試すような激しい感情をぶ つけることもありますが、挑発には応じないで絶対に見捨てない姿勢であたります。家族の中に援助す べき人がいる場合まず支える側が自分に死ぬことを求られることもあります。福音の力によって、教会は 本来あるべき人間の生き方へ回復する手助けを担うものと思います。