私の信仰
先に救われた者の務め
恵みによって9月21日に行われた日本プロテスタント宣教150周年関西大会に出席しました。8月に50 歳になった私は100周年の年に生まれたことになり、これからの50年の節目の新しいことに期待を持ちつ
つ参加しました。
盛りだくさんのプログラムの中、メッセージはもちろんですがテコンドーの岡本依子さんとゴスペルシン ガーの kiki さん、このお二人を通して教えられました。岡本さんはイエス様の十字架の劇を見て「イエス
様はなんていい人なんだろう」と感動し、そう思ううちに信じたそうです。彼女の救いのための背後の祈り と共に主の選びがあればあっという間に救われる。ハレルヤ!福音を伝えるって難しいことじゃないん
だ、私は私の出来ることをさせていただいて、後は主におまかせして待つことなんだと教えられました。
また、kiki さんには愛しているから福音を伝える、と言うことを教えられました。当り前のことを忘れてい たようです。でもなかなか伝えられない弱い自分なので、主に助けて頂きながら先に救われた者の務め
を果たしていきたいとそう願いました。
「ああ、麗しいかな、良きおとずれを告げる者の足は」
ローマ人への手紙10:14、15
ここ10年程前から大きな聖会に出席しますと、必ず講師の方が「日本にもリバイバルがまもなく来ま す。」と声を大にして語られます。聴衆はその言葉に大きな声で「アーメン!」と応答します。私も主が大
きなみ業を通して続々と人々が救われてほしいと願います。
使徒行伝の中で多くの人が救われ、驚くような奇跡が起こったことが記されています。それと同時に反 対者が現れ、迫害が起っています。エルサレムの教会は迫害に対して、「主よ、いま彼らの脅迫に目をと
め、僕たちに、大胆に御言葉を語らせてください。そしてみ手を伸ばしていやしをなし、聖なる僕イエスの 名によってしるしと奇跡を行わせてください。」(使徒4:29~30)と祈りました。迫害の中で、主の働きを
さらに求める祈りこそリバイバルに通じる祈りだと信じます。
使徒行伝の中では明確な救いといやしが記されています。彼らにとってイエス様の十字架は罪と自我 の死であり、聖霊を通して救いを確信しています。使徒行伝にあったようなリバイバルが起れば、牧師は
もちろんのことあなたも世話側として忙しくなり、彼らに対して信仰の模範となるのもあなたです。エルサ レムの教会ではそのような奉仕者を弟子と呼んでいました。ただ信じていれば良いという信者の立場に
甘んじることなく、成長し主の恵みを与える弟子になりましょう。