大阪城東福音教会

私の信仰

主の証し(1)


 たとい私は死の陰の谷を歩むとも
 災いをおそれない。なぜなら
 あなたが私とともにおられるからです。

 主のあわれみにより、教会に再び導かれてはや一年が過ぎようとしています。多くの恵みを味わうため に、主は私と色々なところを通って下さいました。

 私は去年の五月ころから体調がすぐれず、何もかもが不安で他人がこわくなって外出できず、またちょ っとしたことにイライラし、身内に対しては暴言をはいたり、暴力をふるったりするようになりました。やが て、幻聴が聞こえるようになったので医者にいくと、うつ病だと診断され、即刻入院が望ましい、といわれ ましたが、結局投薬治療をすることになりました。

 うつ病なんてたいしたことない、とタカをくくっていましたが、大変な病気だということをいやというほど思 い知らされました。頭の中に霧がかかっているようで何も考えられず、人前に出られなくなり、やっとのこ とで人ごみの中をさけて外出しても、目的地までどういったらいいのかわからなくなったり、急にやってくる 自殺衝動を懸命にこらえるために、駅のホームでずっとうずくまったりしていたこともありました。 仕事 場についても、ただ事務所のイスにずっと座ったきりで何もできません。私は塾をやっていますが、生徒 の前に出られず、黒板に簡単な漢字が書けなくなり、簡単な足し算、引き算さえまちがえるようになりまし た。

ああ、もうだめだな、全部が終わりだ、いくら薬を飲んでもよくならないし、仕事も生活もこれで一巻の終 わりだ。もうあきらめよう、と思ったりしました。自分の内には信仰もなく、聖書の言葉も理解不能になり、 祈ることもできず、ただ、ああ苦しい、何とかしてくださいと願うばかりでした。 

 六月下旬ごろ、そんな状態で帰りの電車に乗って、一両目の一番前のドアで外を眺めていて(そこだと 乗客を見なくて済むのです)助けてくれえ、と心の中で叫んでいた時、「たといそうでなくても」という文句が ふとやってきました。ああダニエル書の御言だ、そうだ、主は私を治してくださる、でも、たといそうでなく ても、私は頭がこわれて主のことがわからなくなるまで、あなたをたたえ、あなたに従おう、という気持ち が起こって来ました。