私の信仰
「大阪城東福音教会」と私
主の御名を崇めます。「大阪城東福音教会」と私の出会いは16年前に遡ることになります。当時の私 は、キリスト教とはまったく無関係の生活を送り、「自分の道は自分の努力で切り開くべきである。」と固く
信じ、神様の存在をも否定する今だ若輩の輩でした。そのような私が何故教会に導かれたのかと申しま すと、当時自分を取り巻く環境に大きな変化があり、それと同時に大きな悩みを持ったことがきっかけで
した。「誰かにこの苦しい胸のうちを聞いてもらいたい。」という、すがる様な気持ちで毎日を送っていまし た。電話帳で費用が安いカウンセリング機関を探し回り、仕事の帰りにそのような機関を訪れました。し
かしながらカウンセラーに、苦しい胸の内を打ち明けている時は、平安な気持ちになりますが、一歩相談 室を出るとすぐに不安が蘇り、人間の言葉による慰めや臨床心理学の力には限界があると思いました。
その様な折に、電話帳で教会の牧師先生が無料でカウンセリングを行っていることを知り、「決して信 仰に引きずり込まれまい。」という強い決意のもと、受話器をとりました。それが大倉先生との出会いでし た。
仕事が終わった時刻に、喫茶店でお話を聞いて頂き、先生の親身かつ真摯なご対応に「この方は心か ら私のことを思って下さっている。」という、それまでに味わうことが出来なかった安堵感に包まれました。
そして先生のお勧めもありましたが、最初の決意は脆くも崩れ、「教会とはどういいう所だろう。」という 好奇心もあり、毎週日曜集う様になりました。当時はまだ京橋駅近くの「ローマの休日」という、夜は酒場
である集会所で礼拝が守られていました。透明な筒状のエレベーターを上がると、受付の方がいつも気 持ち良く迎えて下さり、聖書や聖歌を渡して下さいました。
そしてそれまで教会に抱いていたイメージとは違い、ベースやキーボードで奏楽し、声を出しての祈りは 正直少し奇異に感じました。しかし大倉先生の毎週のメッセージは、当時は未だ良くわからない面もあり
ましたが、イエス・キリストというお方を分り易く語って下さいました。また礼拝が終わると、兄姉の皆さん が協力しあい、パイプいすを物置に片付け、礼拝には好ましくない模様を隠していた壁の紙をはがし、本
当に忠実に奉仕されていました。そしてカウンターに毎週常備されていた「塩狩峠」のビデオをお借りし、 長野青年の姿に大きな感動を覚えました。(このビデオは今でも教会の二階にあります。)
当時の記憶は今でも鮮明に脳裏をよぎり、現在も信仰を持ち続けることが出来ている原点になってい ることは確かです。
それから程なくして、会社の命令により横浜に転勤となり、他教団の教会に導かれ11年前に洗礼も受 けました。日曜はもちろん平日夜の集会にも集い、日曜学校の奉仕も行い、教会中心の生活を送る様
になりました。横浜に移って後も、先生ご夫妻との親交は続き、来阪の折には、教会外や、そして新しく 出来た現在の会堂の牧師館でも懐かしくお交わりさせて頂きました。先生ご夫妻は、私が横浜で忠実な
教会生活を送っていることを大変喜んで下さいました。
そして3年前に関西へ再び移り、所属教団の教会を幾つかあたりましたが、再びこの大阪城東福音教 会に導かれました。賛美のグループにも加えて頂き、他教団員である私を、先生ご夫妻は分け隔てなく
導いて下さっています。大阪城東福音教会の兄姉は、神様への信頼が強く、信仰姿勢的にも大変尊敬さ せて頂いています。
駆け足で16年間を振り返りましたが、その間は順調ではなく、家族との辛い別離を体験し、父親を天に 送り、仕事上の悩みも尽きませんでした。現在も迷い・悩みは絶えず、どの様に対処して良いか判断が
つかない場合も多々あります。このような場合、自分自身としてなし得る努力を行うことはもちろんです が、神様の御心がどこにあるかを探りつつ、これからの信仰生活を送って行きたいと思います。
大阪城東福音教会に、神様の大いなる祝福が、与えられ続ける事を心からお祈りさせて頂きます。