大阪城東福音教会

私の信仰

多くの恵み


 私は、1994年1月30日に次女を統一教会から救い出したい一心で教会に行きました。一歩足を踏み入 れると涙が止まらなくなり、礼拝が終わっても泣いていました。夫、姉妹、姪にまで反対され身も心も疲れ 果てようとしていた時、宇治で夏期聖会があり、導かれました。頭が割れそうに痛む中で、聖歌229番「お どろくばかりの」二番、---恵みは我が身の恐れを消しまかする心を起こさせたり---が強く響いて 反対を受ける中でイエス様を救い主と信じる信仰が与えられました。

 1995年1月4日夫は胃潰瘍で入院しました。17日阪神・淡路大地震で多くの人が亡くなられました。教会 の4名の人が洗礼を受けることが決まりました。私も受けたいと思い病室で夫にお願いしました。1月末夫 が退院することになり、洗礼を受けるなら離婚すると言われました。洗礼を受ける前日は大倉先生が来 て下さいましたが、許してもらえませんでした。私は声を上げて泣き明かし、翌日は体調をくずし寝込んで しまいました。次の日夕食を作りながらすぐに出て行けと言うが、この家を出て行くのは夫の方だと腹を 立てていました。その時、右耳の方から「あなたは夫を責めることが出来ますか」と二度聞こえました。私 はただちに主よ私は夫よりも罪深い人間です、私を許して下さいと悔い改めました。夕食後二人では話 し合いにならないため長女、次女に立ち会ってもらい話し合いました。娘は「お父さんは勝手すぎる、お 母さんは受けたければ離婚して受ければいい」と言ってくれましたが、エペソ5章22~24節のみ言葉を学 んでからは、夫婦仲良く生活することを願っていたので、そのことを娘に話しました。夫は腹をたて「受け たければ勝手に受ければよい」と言って立ちかけました。娘は「今よく話し合わないと」と言ってくれました が、夫は自分の部屋に行ってしまいました。大倉先生に電話すると導かれた様子でした。翌日教会に行 くと多くの人が知っておられ、主の導きであることに気付き、2月26日に洗礼が与えられました。

 私はこの秋に1ヶ月に及んで病気をしました。入院こそしませんでしたが、家で起き上がることが出来ま せんでした。この病気の間、「産みの苦しみ」と言う言葉が心に響いていたのですが、この病気を通して 主人に素直に感謝することが出来るようになりました。台所に立ったことのない夫が買い物をし、作ってく れたものを口にするとき、心から“感謝していただきます”という祈りになり、これまで対話しなければとい う思いでいた言葉が自然に話しできるようになりました。どんなささいなことでも互いに「ありがとう」の言 葉を交わせる様に変えられています。

 自分が変えられたことで夫も変えられていることを主に感謝します。